【願望】「働きがい」と「働きやすさ」が自分の中の基準を超える仕事に就きたい

簡単に自己紹介から。事務系の国家公務員と地方公務員として計10年働くも、その間、適応障害うつ病で休職と復職を繰り返し、もがきあがいた結果退職することに。大手人材紹介会社に転職するも3日でギブアップし退職。現在は造園業で働いている30代の妻子持ちです。このブログでは、仕事をする中で働くとは何か、人生とは何かなど私自身がこれまで悩みもがき苦しんできた経験を基に、私と同じように仕事に悩む公務員の皆様に寄り添える情報を発信しています。公務員に限らずどんな方でも自由にコメントくださいね!

 

さて、「【願望】「働きがい」と「働きやすさ」が自分の中の基準を超える仕事に就きたい」についてですが、難しいテーマだと感じます。だって、「働きがい」なんて目には見えないし、どの仕事に働きがいを感じるかなんて、人それぞれで、働きがいを感じていない人だって、経験を積むことによってある時からジワジワと働きがいのようなものを感じ取れるようになるかもしれないですし。

 

「働きやすさ」は、給料や休日などの待遇面だったり、残業の程度だったり、業務の心身への負荷の程度だったりしますが、許容度はひとそれぞれなので、自分にとっての基準で見ていくほかにありません。これも、例えば家族が増えたら給料を増やしたくなるし、疲れていたらもっと休日が多い仕事に変えたくなるし、その人の置かれた状況、環境によって変動するものです。

 

「働きがい」と「働きやすさ」。働きがいがあれば、残業があってもやっていけるとか、働きやすければ働きがいなんてなくて大丈夫って人もいると思うけど、やっぱり両方が満たされていないと仕事は続きません。

 

そして、「働きがい」と「働きやすさ」のバランス、つまりどちらかが高ければどちらか低いっていうトレードオフの関係じゃないですもんね。それぞれ独立した要素です。

 

例えば、仕事を続けられるボーダーラインを50点だとしたら、「働きがい」も自分の中での50点を超えていて、「働きやすさ」も自分の中での50点を超えていることが必要です。

 

「働きがい」の50点 ・・・社会にとってまったく無意味な仕事じゃない、かつ、自分にとってまったく無意味な仕事じゃない。

(exたばこを吸わない私にとって、そしてたばこは人体に有害だと思っている私にとって、JTの仕事は社会的には必要とされているかもしれませんが、自分にとってはまったく無意味な仕事であって、「働きがい」を感じることは難しいので、20点。)

 

「働きやすさ」の50点・・・自分が心身の健康を保った状態で働くことができて、かつ、家族3人で生活できる分の給料がある。

(ex公務員の仕事は、家族3人で生活できる分の給料はありましたが、精神の健康を保つことができなかったので、10点。)

 

今の造園業の仕事は、「働きがい」の面では、公園や公共施設の草刈りや剪定をしたり、芝をきれいにすることで利用者が気持ちよく過ごしてもらえる点で、70点です。社会にとっても、自分にとっても必要性を感じています。

ただ、ゴルフや野球をしない私にとって、ゴルフ場や野球場の整備は確かに利用者の方々が気持ちよくプレーしてくれる点で、いい仕事だと思いますが、正直なところ、自分基準の有意味性で考えると、たばこを販売したりギャンブルを提供したりする仕事との境目はかなりあいまいになってきます。

こういう趣味に近い分野は、趣向性が関わってくるので、興味があれば「働きがい」を感じやすいんですけどね。

 

そうすると、多趣味な人や、受け入れられる射程が広い人は、仕事に意味を感じやすくなるんじゃないかな。たばこも吸わないし、ギャンブルもしないし、お酒も飲まない私は、それだけで、たばこ産業、ギャンブル産業、お酒産業は自分の中の基準で50点を下回ってしまいますからね。仕事の選択肢が狭まってしまいます。

 

「働きやすさ」は、草刈り後の集草で喘息が出る気管支の弱い私にとって、50点を下回っているかもしれません。給料も生活を維持できるか怪しいラインですし。

 

となると仕事の継続性に危険信号がともります。転職活動はメンタル持っていかれるので気乗りしませんが、自分と家族のために行動していかないといけませんね。

 

「働きがい」と「働きやすさ」が自分の中の基準を超える仕事に出会うまではもがき続けるしかありません。

 

人生は実験だと思って、色々試して、失敗、いや、うまくいかなかった方法を見つけて、別の方法を試していくことが大切ですね!