【超重要】仕事は人生の重荷か、きらめきか
あなたにとって仕事は苦痛でしょうか、それとも人生に活力を与えてくれる存在でしょうか。仕事は人生の1/3を占めるもの。それを多いとみなすか、少ないとみなすか意見がわかれるところですが、私にとっては「人生の中で仕事が占める割合は十分に多い」と感じます。なぜなら、仕事のストレスによって仕事以外の時間のQOLが上下するので、仕事が人生全体に与える影響度合いは1/3にはとどまらないからです。

仕事に精神をもっていかれやすい人は一定数いる
「仕事中は特に何も考えていないよ。仕事が終わったら家族との時間や趣味を楽しむだけだね」そんな人がいる一方で、職場から離れても仕事が頭から離れない人もいます。脳内での切り替えが下手な人とも言えます。そんな人にとっては、つまり私ですが、休日仕事のことを意識的にも無意識的にも全く考えない人はうらやましく感じます。マネをしたくてもできません。一種の才能とさえ思います。私もそちら側の人間でありたかった。そうすれば適応障害やうつ病にならずに済んだかもしれません。
仕事選びは人生選び
仕事とプライベートの切り替えが苦手な人にとって、仕事が苦痛であることは、すなわち人生が苦痛であふれたものになることを意味します。だって夜中も休日も仕事の悪影響が続いてしまうから。そんな人にとっては、職業選択は人生最大の選択になります。どの仕事に就くかで人生が真っ暗になるか、輝いたものになるか決まってしまうからです。テキトーに仕事をやって、食い扶持を稼いで、あとは余暇を楽しむような器用なことができる人と比べるとはるかに就職の重要度は高まります。
仕事選びはくじ引き
ところが、そんな重要な就職、実のところくじ引きのようなものなんですよね。実際に働いてみないと自分にとっての重荷か、きらめきかわかりません。最初の就職で天職あるいは適職に就けた人はよっぽど幸運な人だと思います。心の底からおめでとう。
仕事が苦痛で、しんどくて、へばってしまっている人はどうすればいいのでしょうか。仕事とプライベートの切り替えが下手くそな私は人生終わりなのでしょうか。唯一の望みは、「転職」です。転職によって今よりも少しでも「マシ」な職場にいける可能性は高まります。人生の重荷だった仕事が、人生の筋トレくらいになる可能性があります。つまり、やっているときはきついことも多いけど、私生活を犠牲にするまではない仕事に巡り合う可能性があるということです。これはうれしいニュースです。というか、唯一の解決策だと思います。
仕事と私生活のシームレスな連動
見方を変えると、仕事と私生活の切り替えが苦手な人は、仕事がうまくいくと私生活もうまくいく、連動させる能力が高いともいえます。そのため、自分にとっての適職にであることができれば、私生活も充実する可能性が高いです。その意味で、適職に出会うための行動、すなわち転職(社内異動含む)は積極的に検討すべきです。人生の中で優先順位を上げてでも、仕事選びは妥協しない方がいいです。
まとめ
仕事は人生の重荷か、それともきらめきとなるのか、この違いは私たちにとって非常に大きな意味を持ちます。人生のきらめきとなるよう、少しでもそちら側に近づけるよう行動していく必要があります。その手段として、転職は強力なトリガーとなりえます。早く公務員なんか辞めて、違うフィールドを冒険してみてください。生き残るために。
【共感】公務員として働く今、辛い、きつい、しんどいこの感覚を例え話で言語化してみる

事務系の国家公務員と地方公務員を10年経験。その間、適応障害やうつ病などで休職、リワークそして復職するも苦闘の末退職することに。それからなんとか食いつないで今を生きている30代のパパです。仕事をする中で働くとは何か、人生とは何かなど私自身が悩みもがき苦しんできた経験を率直に綴っていますので、自由にコメントくださいね!
他人に説明するための言語化
感覚を言語化してみる。「感覚」とは、今仕事をしていて辛い状況にあるその感覚。例えば家族であったり職場の人であったり病院の先生であったり、他人にこの気持ちを説明をしたいなと思った時に何か例え話ができたらいい。それの補助線になるような話をしたい。
ただ結論を言うと、自分にとって最適な例え話が見つかったとして、それを他人が理解してくれるかどうかはまた別の話。つまり、自分がどれだけつらい状況にいたとしても他人がそれを全部わかってくれるとは限らない。とはいえ、自分のこのつらい感覚を言語化するのは一つ意味がある作業なんじゃないかなと思う。
淡水魚が海水で泳いでいる
ひとつは、「淡水魚が海水で泳いでる」ということ。淡水魚つまりフナとかニジマスだとかコイだとか淡水で生活するべき魚が海で泳いでいる。海という職場に放り込まれた。なんか息苦しいし、なんかうまく泳げないし、生きづらいって思う。泳ぐフィールドがそもそも違うから。
高速道路を軽自動車で走っている
もう一つ。自分は軽自動車で高速道路を走っている。周りの人たちは排気量が大きい車で一緒に走っているような感覚をずっと持っていた。だからかなりきつい。辛いくてしんどい。私は軽自動車で排気量も小さいし、思いっきりアクセルを踏んでブーンっていいながら走らないといけない。でも周りの人はアクセルを軽く踏んで120キロ出ますよみたいな感じに見える。本当にエンジン焦げ付いてしまうし、やればやるほどきつくなる。軽自動車と排気量が大きい普通車でレースをしているような気分。
ついに私はエンジンが焦げ付いて壊れてしまった。休職することになった。もうガソリンも残っていなかった。そういう生き方をこれからもするかって考えた時にもう無理だなって思った。高速道路を降りて別の下道で自分の60キロなら60キロの自分のエンジン数、回転数がきつくない程度で走れる場所を選ぼうと思った。
結果的に今それで自分なりに走れているし、魚でいうと淡水に戻ることができてうまく泳ぐことができている。
魚と車の例え話をした。たぶんご自身にとって「ああそれわかるわかる」って部分も多少あると思う。皆さんそれぞれ置かれている環境が違うので、感覚も違うだろう。ご自分が思う例え話があったらコメント欄で教えてほしい。
毒を飲みながら解毒剤を飲み続ける矛盾
休職中に心療内科で抗不安薬とかそういう薬をもらって飲み始めた。そんなときに考えてたこと。「毒を飲み続けたからお腹を壊して、お腹を壊してるから病院に行って整腸剤、胃薬とかもらって飲み続けるってこれなんかおかしくない?」って思った。つまり、合わない仕事をしていて、向いてない仕事をしていて、ずっと体調を崩している。だから薬を飲み続けてそれを治療しますって、それちょっと本末転倒なんじゃないのって思った。そんな毒をずっと飲み続けてさらに解毒剤飲み続けるって馬鹿らしい。自分から体壊しにいってるようなものだ。それだったらもう転職した方が自分の人生を生きる上で健全だと思った。
だから例え話としては、「毒を飲み続けながら胃薬を飲み続けますか」みたいなこと。だから今もし休職中の方だったら本当にこれからも毒と解毒剤を飲み続けますかっていうのは考えてもらいたい。
とはいっても、今の会社でも薬を飲みながら行ってる。今日も受診日だった。でもだんだん減薬はできていて、薬の量が減ってるんですけど飲み続けている。今は、仕事に行くのが本当にしんどくて仕事が辛すぎてしょうがないっていう感覚ではない。なので毒を飲み続けてるっていう前の公務員時代とは状況は違う。前向きに、調子を整えるために薬を飲んでいる。
公務員時代はそんなことは思えなかった。薬を飲まなくなったらまた元に戻るだろうなって言う感覚があった。だから転職することに決めた。
まとめ
今のこのつらい状況を他人に話すときの例え話はあってもいいかなと思っている。私の場合は二つあって、一つは淡水魚が海水で泳いでいるようなキツさだということ。もう一つが軽自動車が高速道路で排気量の大きい車と一緒に走っている状態だということ。もう一つ、合わない仕事をしているのは毒を飲み続けている状態であってそれを治すために解毒剤みたいなものを飲み続ける生活をするのは嫌だ、という話だった。
いかがでしたでしょうか!他にもわかりやすい例え話があったら教えてくださいね♪
【人生の損失】公務員でいることの甚大すぎるデメリット

自分の人生を失っている
そもそも公務の仕事は社会制度を維持するために生み出された。そのためその仕事は安定的とされた。社会に必要だから。しかし、私たちはその仕事をするために生まれてきたわけじゃない。
これからも公務員として生きるのか
あなたは今、その仕事は自分にとって合わないと感じる。強烈な違和感を感じている。生きた心地がしない。その仕事をやればやるほど消耗していく、生気が失われていく。
公務員になることで収入と身分の安定を手に入れた。しかし、収入と身分の安定イコール自分の人生の安定ではない。収入と身分の安定を手に入れた代わりに、自分の人生を捨てた。

これから数十年、退職金を望みに自分の人生を犠牲にしていいのか。今この瞬間が人生の一部なんじゃないのか。公務員でいることの甚大すぎるデメリットは自分の人生を失うこと。これほど辛いことはない。
心の奥できっと自分はそのことに気づいている
だからメンタル疾患になる。その道は違うよと教えてくれている、いや警告を出している。この声を大切にしないと本当に人生が終わってしまう。今休職中の方はそのことを考えてみたほうがいい。復職してずっと働き続けることができるのか、その人生を歩みたいのか。
【仕事探し】適職・天職の判断基準はたった2つだけ

今回は「適職・天職の判断基準」について。適職・天職論ではベン図が用いられることが多い。「好きなこと」「得意なこと」「価値があること」の3つの事象が重なるところがあなたの適職といった具合だ。確かに同意する部分もあるが、私にとっては要素が多すぎる。自分なりの経験を踏まえ、2つに絞った。
これまで私は転職を数回経験してきて、働き方だとか働きがいだとか働きやすさ、その手の労働・仕事観に触れてきた。現時点での自分なりの考えというのもできてきたのでそれをまとめた。
事務系の国家公務員と地方公務員を10年経験。その間、適応障害やうつ病などで休職、リワークそして復職するも苦闘の末退職することに。それからなんとか食いつないで今を生きている30代のパパです。仕事をする中で働くとは何か、人生とは何かなど私自身が悩みもがき苦しんできた経験を率直に綴っていますので、自由にコメントくださいね!
3つの判断基準は多すぎる
まず、適職とか天職などの話になると、たいていの著者は「判断基準」を示すことが多い。例えば、よくあるのがあのベン図で「好きなこと」「得意なこと」「価値があること 」を挙げ、3つの事象が重なるところがあなたにとっての天職ですよ、といった主張だ。私なりの天職とか適職、どちらかというと適職になるが、その人にあった職場、仕事って何?と考えると、判断基準は2つあって、1つは「なんとなく人よりやれること、仕事の領域」ともうひとつは、「これだけはやりたくないっていう仕事ではないっていう領域」だ。この2つが重なるところが、適職に近いと感じる。
なんとなく人よりやれること
「なんとなく人よりやれる」は「得意」に言い換えれる。自分はそんなに苦労して努力してる感覚はないんだけどもなんとなくできちゃうなみたいな領域、仕事を指す。例えば私は電話対応は全く苦なくできるが、中には電話対応が苦手だという人もいるので、そういう人と比べたら多分得意な領域になるんだろう。初対面の人と話すの楽しい。中にはクレーム言われるお客様、市民の方とか住民の方がいらっしゃるが、基本的にはその人との一期一会というか、その交流の中でどういう風に相手の意図を汲み取りながら会話していくかを楽しんでいる。なので、自分にとってはそれは「なんとなく人よりやれる領域」だと思う。
×やりたい仕事
もう一つの「これだけはやりたくないという仕事ではない」は、否定形が2つ重なるので分かりづらい。何でこんな 回りくどい言い方をしたかというと、「これはやりたい仕事」って言ってしまうと範囲が狭くなり、選択肢が少なくなってしまうと思うからだ。これがやりたい、あれがやりたいっていうのが明確にある人だったらいいが、そんなものない人が大半だ。ぼんやりとした仕事観もないとなると行き詰まってしまう。そうならないために、「これだけはやりたくないっていう仕事じゃない」と対偶のような否定形の否定形で表現するほうが選択肢が広がると思う。「これだけはやりたくないっていう仕事ではない領域」、例えば私の場合だと、これだけはやりたくないって思うのがマルチタスクだ。さきほど電話対応は好きだって言ったが、電話対応しながら書類の審査もして、窓口対応もして色んなことを一気にやるのはものすごく苦手だ。というかもう嫌だった。一つ一つが中途半端になるし終わらなくなるのが苦痛でしょうがなかった。マルチタスクは大嫌いだ。
判断基準はシンプルなほどいい
自分でなんとなく「これは人よりやれるな」っていうところと、「これだけはやりたくない仕事ではない」っていうところを掛け合わせたところ、交わるところは、あなたにとっての適職である可能性が高い。3つの事象があるとちょっと多すぎる。好きと得意と価値観みたいになるとちょっと広すぎる。せめて2つぐらいにしてよ、絞ってよって思ってしまう。なので自分は得意とやりたくない仕事じゃないっていうぐらいがちょうどいいかなと思っている。
本当にやりたくないことは何か
さらに踏み込むと、「これだけはやりたくない仕事」を考えるときは慎重に選別していかなければならない。誤った選択になる可能性があるからだ。私はデスクワークをずっとやってきて、デスクワークが嫌だと思っていた。デスクワークが苦手で、二度とやりたくないと思っていた。ところが、今はデスクワークをやっている。なぜか。それはデスクワークが苦手なわけじゃなくて、マルチタスクが苦手だったのだ。だから、「これだけはやりたくない」っていう仕事を「デスクワーク」と設定してしまうと事実とずれてしまう可能性がある。本当はデスクワークはできるが、デスクワークと電話対応と窓口対応と他にもなんか色々諸々の調整をやらないといけない状況が嫌な可能性がある。
なので最初は「仮置き」にした方がいい。「自分は●●というのが苦手」だと仮定する。転職活動する中で、実際に転職する中でそのあたりは精度高まってくる。自己分析をいろいろすると思うが断定はしない方がいい。
まとめ
まとめると、適職だとか天職だとかそういう自分にあった仕事、職場っていうのは2つの軸で判断した方がいいなと思っていて、1つが、「なんとなく人よりやれる領域、得意」っていうのと、もう1つが、「これだけはやりたくない仕事ではない」ということ。そして、これらというのは仮置きでスタートした方がいい。
【幻想】公務員はファーストキャリアにすぎない

にふてりあです。今回は「公務員はファーストキャリアに過ぎない」ということをお話ししようと思います。
事務系の国家公務員と地方公務員を10年経験。その間、適応障害やうつ病などで休職、リワークそして復職するも苦闘の末退職することに。それからなんとか食いつないで今を生きている30代のパパです。仕事をする中で働くとは何か、人生とは何かなど私自身が悩みもがき苦しんできた経験を率直に綴っていますので、自由にコメントくださいね!
新卒で公務員になった人って、定年まで公務員でいるものと思い込んでるんですよね。この思い込みは本当は幻想に近いんですが、気が付きにくいです。定年まで公務員でいることが当たり前だと思っているとして、仕事が全く合わなかったときどうしますか。立往生してしまいますよね。
例えると、就職って、結婚とか恋愛に近いなと思うんです。めっちゃ美人だけど性格が全く合わない人と結婚したらどうしますか。付き合ってる時は気づかなくて結婚あるいは同棲して一緒に生活してみてはじめて「この人性格やばいな」「全然合わないな」みたいになったらずっと一緒にいるのって無理ですよね。続かないですよね。
仕事は1回やってみないとわからない部分が大きいので、あくまでも公務員になれたのは素晴らしいことだけども、それはファーストキャリアに過ぎなくて、一生そこで働く義務はないっていうことをお伝えしたいです。私の場合、やりたいことは具体的にはなくて、ただ勉強はそこそこできて、でなんとなく仕事として公共性がある仕事はいいなという思いがあって公務員を目指しました。しかも親から公務員講座の費用も出してもらってるんで、しっかり勉強して受かりました。そのこと自体は自分の人生の選択肢において間違ってなかったと思っています今も。ただ問題は、当時公務員になったらずっと公務員やるもんだと思ってたんですよね。でも実際働いてみると1年目めっちゃきつかったんです。残業も多くて。でも働くってきついけどそんなもんかなと思って。2年目もまだ辛いんですよ。で3年目 4年目 5年目ずっと辛いんですよ。辛くてしょうがないんですよ。人生に悲観していました。憔悴した状態でした。
この間に結婚したんですけど、結婚したら、つまり家族ができたら仕事頑張れるのかなって思ってちょっと期待してたんですよね。周りの職員も結婚してる人いっぱいいたし。家族のため、誰かのためと思ったら働けるんだろうなっていう淡い期待、最後の望みを持ってたんですけど実際そんなことなくて、きついのはもうきついままだったんですよね。
「周りは普通に仕事してるのになんで自分は普通に仕事できないんだ」という自己否定が強くてしんどかったですね。だからと言ってやめたくても家族いるしっていうジレンマを抱えて、休職をして復職して、また治ったと思ったらまた休職してみたいな繰り返しちゃったんですよね。
根底にあるのは、公務員になったらずっと公務員やるんだろうという幻想です。合わなくてもやるしかないって思っていました。公務員をファーストキャリアって考えることはなかったんですよ。そうなると、行きつく先はメンタル疾患しかないですよね。病気になるべくしてなった。
だからこそ今公務員やってて辛いなって感じてらっしゃる方には、適正があるんで、合う合わない、向き不向きは絶対にあるんで自分がその仕事合わなかったら別の仕事をしていいんですよ。就職って、結婚じゃなくてお付き合いだと思った方がいいんですよね多分。結婚だとしたら、離婚するのはものすごく労力使いますし、離婚歴がついたら嫌だみたいになるじゃないですか。だからお付き合いだと思った方がいいです。
本当に付き合ってみないと相手のいいところ悪いところわからないので、まずはお付き合いをしてみて、「あ、合わなかったな」ってそれが2年も3年もそれで合わないなと思ってるんだったら、周りが何と言おうとそれが正解なんですよ絶対。それ以上耐えてもどうしようもないじゃないですか。辛い時間だけが過ぎて行くんで。だから付き合って、色々経験してダメなら別れる選択肢もあるんだよ、というのを思って欲しいなと思います。
で新卒で公務員になった場合は、他の正社員経験がないので、自分が何に向いているかわからないですよね。だから新卒で公務員になった人は、自分が何に向いているのか発見する期間だと思って働いて欲しいなと思います。公務員の仕事をする中で様々なタスクが求められますから自分はこれは得意でこれ苦手だなっていうのをそこでまず見つけてもらって、次のステップが本当の就活だと思うような気概でいた方がメンタル的にもいいんじゃないかなと思います。だから別の世界はあるんだよというのは頭の片隅に置いて働いてもらいたいなと思います。しんどい時間が続くのであれば別の道に進んでほしいなと思います。その方が絶対あなたが幸せになるので!
今回は以上です。
【心の声に耳をすませば】適応障害は脳の肉離れ

にふてりあです。今回は「適応障害は脳の肉離れ」ということについてお話ししようと思います。適応障害というのは、特定の状況がその人にとっては耐えがたい、苦痛に感じるという症状です。私の場合は それが仕事の環境・状況で出てきたということになります。
事務系の国家公務員と地方公務員を10年経験。その間、適応障害やうつ病などで休職、リワークそして復職するも苦闘の末退職することに。それからなんとか食いつないで今を生きている30代のパパです。仕事をする中で働くとは何か、人生とは何かなど私自身が悩みもがき苦しんできた経験を率直に綴っていますので、自由にコメントくださいね!
嫌々ながら、というかきついけどそれが仕事なんだろうなと思いながら、公務員を1年、2年、そして3年4年5年6年7年8年9年10年と続けてきたんですけども、やっぱりその中でとうとう仕事に行けなくなったっていうことが何回かありました。
具体的には、朝、電車には乗れて職場の前まで行けたんだけども、もう無理だってなって引き返して、電車に乗ることなく歩いて「どうしようどうしよう、仕事に行けなかった、どうしよう」って思いながら帰ってきたりとかそういう状態が続いたので、受診すると「適応障害ですね」という診断が下りました。
うつ病にもなったことあるんですけど、適応障害、うつ状態、うつ病というのは、「心の風邪」なんて言われることありますけど、そんな生易しいものじゃなくて、そんな単純なことじゃないですね。はっきり言って生き地獄だと思います。その症状というのが風邪だと、一旦治ったら、治った!ってなりますよね。でもうつ病なんて影響が長く続きますからね。そんな簡単な話じゃないんですよね。皆さんが思ってるほど。
適応障害は脳の肉離れ
で、何でそういう適応障害とかうつ状態になるかと言うと、私の感覚としては、「脳みそを酷使しすぎて嫌なことを我慢しすぎて肉離れを起こした」というのが私の感覚です。脳みそも臓器で、肉でできてますよね。走りすぎて、全力疾走して足が肉離れしたら自分でもそれはわかるし、走りすぎたなとかで、周りの人にも分かりやすいですよね。ただ、脳の肉離れて自分でも気づきにくいし、周りからもその状況はよくわからないですよ。脳の肉離れって、脳の酷使で、多分私の場合はもうデスクワークでカタカタしてて、周りから見たらそんな酷使してるってわからないじゃないですか。でも自分としては脳みそをずっと酷使してたんだと思います。で、脳みそがもう嫌だな、きついなって思ってても、いやこれ仕事だからやらないと、公務員で全体の奉仕者だからやらないと、家族がいて養っていかないといけないからやらないと、っていうので本当にその状況を耐え忍ぶしかないと思って頑張りすぎた結果、パンクしたんだと思います。肉離れしたんだと思います。
でこれやっぱり原因としては無理を重ねている、無理な状況を続けているっていう事がトリガーになるんじゃないかなという風に感じます。ですので、今仕事辛いなって思っていると思うんですけど、きついな、しんどいなと思ってると思うんですけども、それがただ「今日行きたくねえな、まあでもやるか」ぐらいだったら多分、まあいいんですよ。ただそれが適応障害の場合だと2週間以上続いたりしたら受診した方がいいって言われるんですけど、それがもう1年とか2年とか続いてるってことは通常じゃないんで、どっかでやっぱり疲労が脳みそに溜まっています。
身体と心のサインに向き合う
そういう時って、体と心のサインが絶対に出ているはずなのでそれを見逃さないで欲しいなと思います。見て見ぬふりをしないで欲しいなと思います。気づいて押し込めないで欲しいなと強く思います。きついな、今日行きたくないなっていう、ちゃんとサインに気づいたら無視せずに受け止めて、実行してほしいなって思います。実行というのは具体的な休んだり遊んだり。なかなかも遊びたいという感覚すらもそういうしんどい状況、何年か続いてる人にはなかなかそういう感情すらもう忘れてしまっているかもしれないんですけど、好きなもの食べるでもいいんで自分を甘やかして欲しいなと思います。
ですので、今回は適応障害は風邪とかじゃなくてもう肉離れですっていうのを一番お伝えしたくて、その肉離れにならないためにちゃんと心の声で体の声というよりも多分私たち心の声をちゃんと聞かないといけないタイプなんだと思うんで心の声をちゃんと聞いてそれを押し込めないで実行してあげるというところまで進んで欲しいなと思います。
今回は以上です。
娘よ、聞け

数年後、二十歳になった娘に伝えたいことを 2つに絞って話しました。まず1つが子育て論。こういうことにパパは気をつけてるよ、気をつけようと思うっていうのと、でもう一つはこれからこういう風に生きていってもらえたらなっていう思い。
事務系の国家公務員と地方公務員を10年経験。その間、適応障害やうつ病などで休職、リワークそして復職するも苦闘の末退職することに。それからなんとか食いつないで今を生きている30代のパパです。仕事をする中で働くとは何か、人生とは何かなど私自身が悩みもがき苦しんできた経験を率直に綴っていますので、自由にコメントくださいね!
子育てはボブスレー
1つ目の子育てのポリシーというか、どういうことに気をつけているかっていうと「子育てはボブスレー」だということです。これは私がよく動画で見てた樺沢先生が子育て論で言ってたやつなんだけど、子育てってボブスレーのように後ろから押してあげるのが親の役目なんだと。しかしよくある間違いとして、ハンドルまで親が握って方向を決めようとしてしまうと。本当は、本来は ハンドルは子供が持つべきものであって、進行方向を親がコントロールしてしまうと変な方向に行ってしまう。これは本当にその通りだなって思います。なので私はなるべく娘が進みたい方向を邪魔しないように、後ろから押してあげる役割をしてあげるということを気を付けています。
娘は私たちの言うことを聞きません。小さいころから自分の意思が強いほうです。だから私としてはあまり子供として接するんじゃなくて、一人の人格者として接しないといけないなって反省しながら過ごしてます。どうしてもやっぱり歯磨きなさいとか早く寝なさいとかご飯食べなさいとか色々口酸っぱく言ってしまうんですけどね、で言ってしまうんだけど、例えばテレビを見てたら普通邪魔されたくないよね。大人だったらね。今観ているところで歯磨いてとか他の人から言われたら、「いやほっといて後で磨くけん」ってなるよね。だからそういうところもちゃんと考えて言わないといけないなっていうのは、日頃思ってはいます。なかなかできてないけど。
これから中学、高校、そして大学行くかわからないけども、進路を決めるにあたってやっぱり、親の役目としては方向性だけは曲げちゃいけないなって思ってます。20歳でどういう道に行ってるかわからないけども、それが娘のやりたいことに進んでていたらいいなと思います。
自由に生きてほしい
でもう1つはいま伝えたこととリンクするんだけど、やっぱり自由に生きてほしいなって思います。あなたを縛るものは本当は何もない、パパとママの意向も含めてそんなものは存在しません。なので、あなたはあなたがやりたいことをやらないといけないと思っています。人生一回しかないので。後悔しないように、その日その日、一日一日、やりたいことをやってほしいなと思います。じゃないと自分の人生生きたことにならないからね。
親が望む進路だとか仕事だとかそういう方向に進んでしまうと、やっぱり いつか後悔する時が来ちゃうんで、やりたいことをやって欲しいなと思います。でそのため、その過程で例えば、パパは公務員になって苦しんで今はもう違う仕事してるけど、もし娘が公務員になりたいって言ったら、それはそれでなっていいと思います。やってみていいと思います。ただ、公務員はなったら終わりじゃなくて、あくまでもファーストキャリアとして就業を始めてほしいなと思います。やってみて合わないこともあるんで、それも経験しないと分からないから。娘にとっては公務員の世界が合うのかもしれないし。パパは淡水魚で海に行って海水合わなかったってなっちゃったんだけど、娘は海水魚だったんで海が一番泳ぎやすい環境になるかもしれないって思うと、まずはやってみてもらいたいなと思います。
だから一言で言うと、あなたは自由です、で行きたい方向も自分で決めることができるし、そうして行って欲しいなと思います。そして、パパとママはそれを応援しています。今日はそんな感じで二十歳を超えたぐらいの、誕生日を過ぎたぐらいの娘に向けてのメッセージでした。ではでは~