【混ぜるな危険】社会的にやりがいがあるからと言って、自分にとってもやりがいがある仕事とは限りませんよ!

 

社会的な「やりがい」と個人的な「やりがい」はまったく別物ですよね。

それを混同あるいは同一視してしまうことが不幸のはじまり。

 

「君、バイタリティー0って珍しいね」転職時の適性検査を見て言われたひとこと。メンタルよわよわの私です。事務系の国家公務員と地方公務員として計10年働くも、その間、適応障害うつ病で休職と復職を繰り返し、苦闘の末退職することに。それからなんとか食いつないで今を生きている30代の妻子持ちです。仕事をする中で働くとは何か、人生とは何かなど私自身が悩みもがき苦しんできた経験を率直に綴っていますので、自由にコメントくださいね!

 

社会的な「やりがい」は、会社の企業理念や、公務員であればそれぞれの省庁の設置理由を考えればわかるものです。例えば、自動車を作る会社だったら、「安全に、快適な移動手段の提供」という価値があるだろうし、自衛隊だったら国を守る、農林水産省だったら、農林水産業の発展に寄与する価値を求めていると思います。

 

が、こういった社会的な価値つまり「〇〇という価値を提供することで社会に貢献します」というやりがいと、個人的なやりがい、言い換えると、何に精神的な充足感や、達成感を感じるかはイコールとは限りません。

 

ここを混同してしまったんですよね~。公務員としての仕事は、社会的にはそりゃ存在意義があるんだと思いましたが、それは自分のやりがいとはかけはなれていたので、いくら自分を「自分は社会的に意義のある仕事をしているんだ」と思い込ませようとしたところで、半ば自分をだましているような感じなので、しっくりくることはありません。ですし、感情の解離が大きくなって、精神的にダメージを受けてしまいます。

 

どう思えばよかったのかな。「社会的には必要な仕事だと思うけど、くそつまんねーな。しょうもな。」って素直に認めていたら変わっていたのかな。真面目過ぎたんでしょうね。はっきり言って、私は公務員の仕事をしていてやりがいというものを感じることはありませんでした。悲しいことです。

 

でも、それは仕事にやりがいがなかったのか、やりがいを「感じる」ことができない自分がいただけなのか。それは慎重に考えないといけません。精神的にゆとりがあったら感じれる自分になれたかも。とか思ったり。

 

気持ちは行ったり来たりしますが、結論としては、社会的にやりがいがあるといわれている仕事をしているからといって、自分が生き生き働くことができていないなら、自分に向いていない、あっていない、適性がない、可能性があるので、お気を付けください!!!