【そんなバカな話】あの煌々と輝く月が存在しないって本当!?

まずは簡単に自己紹介からですね!事務系の国家公務員と地方公務員として計10年働くも、その間、適応障害うつ病で休職と復職を繰り返し、苦闘の末退職することに。それからなんとか食いつないで今を生きている30代の妻子持ちです。仕事をする中で働くとは何か、人生とは何かなど私自身が悩みもがき苦しんできた経験を率直に綴っていますので、自由にコメントくださいね!

 

今日は月が丸くて明るいです。雲もなくてクリアな夜空。子どもと風呂に入って寝る準備をしたあと、子どもを抱っこしたままパジャマで近所を散歩して月を眺めていました。肌寒いけど、「さむっ」って言いながら外をうろつくのがいいんですよね。

 

ところでさっき見たあの月、本当に存在しているんでしょうか。カーテンを開けるとたぶん、いやほぼ100%の確率で月が現れることでしょう。

 

、、ほら、やっぱりありました。でもカーテンをしめてパソコンに向かっている間、月はないかもしれません。実家の両親や、職場のあの人も、会っていない時間はこの世にいない可能性があります。ましてや、テレビでしか見たことないあの俳優やアイドルはそもそも存在していないのかも。

 

なーんてことを妄想しているとちょっと気が楽になるんですよね。最近のマイブームは、「仮想現実」「シュミレーション仮説」「量子力学あたりで、SFチックでオカルトチックで眉唾ものなんですが、要は「この世は実体があるんじゃなくて、想像上の存在にすぎない」みたいな考え方を指します。

 

超々高度文明の人達(神って呼んだ方がいい?)が作ったゲームの中の住人たちが私たち、あるいは、そのゲームの住人が同じようなゲームを作って、そこで人生をプレイしているのが私たちなのかも。マインクラフト的なやつなんでしょうか。インセプションみたいに、夢の夢の夢の世界が今の世界なのかもしれません。

 

そう考えることがなぜ精神安定につながっているかというと、なんとなくすべてが馬鹿らしくなってくるというか、気負いすぎなくなってくるんです。妻が昔からよく言っていた「人生は暇つぶし」とも近い感覚です。

 

いまこうやって書いているブログも、読者なんて本当は存在していなくて、ただのデジタルなやり取りだけだったりして。仕事も色んな人とやり取りしているけど、電話を切ったらそんな人存在していないかもしれない、電話で話しているときだけ存在しているように思い込んでいるだけかもしれない、なんて考えると、気が楽になります。その反面、気は変になっていくでしょうけど笑

 

過去、公務員として働いていて、ものすごく辛い時期を過ごしていましたが、今となってはそんな過去があったのか本当の意味では怪しいというか、巻き戻して確認できない以上、存在しなかったともいえるし、明後日の朝には出勤している未来なんてものも存在するのか怪しいです。今こうしてブログを書いていること以外は、存在していないのも同然です。隣の部屋で寝ている子どもさえも。

 

だからこそ、今、自分の目と手や耳で感じていることだけが現実なんだと思うこと、その現実さえも、ゲームの中の村人AのRPGなんだと思うこと、それでちょっと世界の見方が変わりますよね。「アホらしいわ」って。

 

 

話は変わりますけど、愚痴になりますが、なんで世の中ってこんなに複雑で面倒なことばかりで、無駄なものばかりなんでしょうかね。スマホなんてもの作ってくれって頼んでないのに勝手に作られて、広告うたれて、必要だと思わされて、スマホ中毒になっていますが、余計なことしてくれやがってって思います。スーパーでも無駄なものばかりです。歯ブラシなんて20種類もいらないですもん。「かたい」か「ふつう」か「やわらかい」か、各自の歯茎の状態に合わせて3種類あれば十分です。いや、それすら無駄です。「ふつう」だけで十分です。

 

PS

仕事は比較的順調に続けられています。奇跡としかいいようがありません。よくやってます自分。